【音楽】コバケンが出前授業にやってきた!〜常盤中学校


2019/06/05 (水) 更新

【音楽】コバケンが出前授業にやってきた!〜常盤中学校

2019年6月5日お昼、須坂小学校での授業を終えた小林研一郎芸術監督の一行は、地元の名店でお蕎麦を堪能。と言っても、のんびり味わうというわけにも行かず、すぐさま午後の会場、常盤中学校へと向かいました。中学生がお客様とあって、午前中に伝えられなかったことを思い出し、また中学生向けに難しい内容、専門的な内容にも踏み込もうと準備万端です。

今度は小林監督が、ヴァイオリン&ヴィオラ奏者の阿部真也さんを紹介したあと、これからお話しする授業の内容を紹介したりと、まずは軽やかに“タクト”を振って授業が始まりました。そして、改めて阿部さんが、ヴァイオリンとの出会い、音楽家を目指すきっかけを話してくださいました。ニューヨーク、サンフランシスコと7年間のアメリカ生活、大学のオーケストラで先生から「君はヴィオラっぽいから、ヴィオラも弾いてごらん」と勧められたことから、それまでのヴァイオリンに加え、ヴィオラを始めたきっかけをお話してされました。

「メロディを弾くのはヴァイオリンの方が圧倒的に多いんですけど、それに対してヴィオラというのは音を刻んだり、リズムを弾く楽器。でも練習するうちにそれがすごく楽しくなって二つの楽器で学位を取ろうと思ったんですね。ちょうどそのころ、テレビやCDなどで小林マエストロの演奏に触れ、音楽への熱い思いを感じて、いつか一緒に演奏がしたいと未来の目標の一つに掲げたんです」

「みんなも今、進路のことや夢のことを考える時期かもしれないけど、その夢をつかむために何がなんですもやってやる、精一杯練習をするということを大事にしてほしい」

アメリカで学んだ阿部さんは、その後、ドイツに渡ります。そしてドレスデンという街のオーケストラで演奏してみたいという思いから、試験を何度も受けて入団を果たします。たまたま日本に帰国したところ、知り合いとのご縁で小林監督がタクトを振るオーケストラの練習に参加する機会を得ました。しかし「研一郎先生のエネルギーは僕の想像以上だったんですよ。もっともっと、もっと自分が練習しないと、この先生と同じレベルで演奏はできないな」という気づきを得、これまで以上に精進したそうです。

さらにパレスチナで2年間、子どもたちに音楽を教える仕事をします。それは紛争が絶えないこの地で、武器を楽器に持ち替えようということを伝える教育プログラム。

「実際に紛争も見たし、巻き込まれたりもしました。でもそのときに、そういう状態でも自分のやりたいと思うことは、どんな状況であってもやり尽くそうと思ったんです。だって子どもたちがそうだったから。夜になると爆撃があって、実際に教え子を亡くしたりもしました。けれど彼らはそれでも、翌日になれば練習に休まずにやってくるんですよね。しかも楽しそうな顔で。その姿にすごく心を動かされたんです」

阿部さんのお話はとてもシビアな現実を話したもので、その口調は迫力のあるものでした。けれどもお昼ご飯を食べた後の眠たくなりそうな時間。サン=サーンスの『白鳥』を弾きながら、「この雰囲気にはとってもぴったり、眠くなる音楽だよー(笑)」とジョークも忘れません。

阿部さんのお話のバトンを受け継いで、奥様でオーケストラを取りまとめている櫻子さんが指揮者の役割についてお話しました。「ベートーヴェンならベートーヴェンの楽譜をよく勉強して、ベートーヴェンがどういう環境で、どういう心でつくり、聞く人に何を伝えたっかたのか、音符には書かれていない空白、行間の宇宙に潜んでいる心を受け取って再現するのが私は指揮者の仕事だと思っています」

そしていよいよ小林監督のお話が始まります。

「小学校の講堂にピアノがあって、弾きたくて弾きたくてたまらない。真夜中に下敷きを持って忍び込んで、ピアノの隙間を狙ってひゅっとやるとピアノの蓋が開くのね。みんなはやったらダメだよ(笑)。真っ暗な中だから弾いている手元は見えないんだけど、自分の中から湧き出てくる音楽を弾いていました。でも見回りが来て見つかりそうになると、小さな穴のある窓から逃げるんです。僕は子どものころ、福島県のかけっこの記録を持っていたんだけど、そのおかげかもしれませんねえ」

小林監督が音楽に夢を抱いた小学校のころは第二次世界大戦の最中。お母さんのつくってくれた五線紙はきっと宝物。音楽の道に進むことを反対し、小林少年が書いた譜面を破り捨てたというお父さんも、戦後の貧しい日本で子どもが音楽で食べていくという苦労をさせるのがしのびなかったのでしょう。しかし、小林少年にはその不安を吹き飛ばすほどの才能があり、努力もしたようです。

ずっと作曲家を目指していました小林監督でしたが、新たに指揮者を目指すために東京藝術大学に入り直します。34歳の時に、ブタベストで第1回の国際指揮者コンクールがあり、1カ月という長期間のオーディションの結果1位になりました。テレビ中継などもあり、それから国内だけでなく、世界各国で活躍するきっかけを得たのだそうです。

ピアノを時に激しく、時に美しく奏で、歌い、そして口調は静かながらも、そのお話からは“炎のマエストロ”の異名の一端が垣間見えてくるようでした。

この回も、まだまだお話し足りないようでしたが、1時間の授業時間がやってきてしまいます。実は、中学生からの校歌のプレゼントがありました。小学生に比べるとテレもある年代だけに、小林監督や阿部さんからも「大きな声で話そうよ」「間違ったっていいよ」と幾度となく鼓舞されていた彼らも、最後は大きな声で、美しいハーモニーを奏でてくれました。そこには今日の出前授業への感謝が込められているかのようでした。

ちなみに、須坂の中学校では、校歌を四部合唱で歌う習慣があるそうです。その中でも常盤中学校は伝統的にクオリティの高い合唱で知られているのだとか。今日の校歌のプレゼントを絶賛した小林監督は、彼らにコンサートへ出演してくれるように依頼し、それが確定するというサプライズがありました。